江戸の里神楽について

 江戸の里神楽【さとかぐら】は、江戸時代から、神楽を専門に行う「神事舞太夫【しんじまいたゆう】」によって、随時、江戸や近隣の各地の神社祭礼で演じられてきたもので、その始まりは、江戸時代初期に伝わった鷲宮【わしのみや】神社(埼玉県)の「土師一流催馬楽神楽【はじいちりゆうさいばらかぐら】」とされる。文化文政期(一八〇四?三〇)に最も隆盛し、明治維新に際しその多くが四散したが、なお明治初期には江戸に三七家が存続した。

 この里神楽【さとかぐら】の演目は、神話を題材に、仮面を付けて演じる無言劇風の『天之浮橋【あめのうきふね】』や『天之返矢【あまのかえしや】』などの演目が主で、鷲宮【わしのみや】神社の神楽を源流に、京都の壬生狂言【みぶきようげん】の影響を受けて工夫されたものとされ、江戸の里神楽【さとかぐら】の特色となっている。さらに後には歌舞伎や能楽、おとぎ話などを題材にした『釣女【つりおんな】』や『紅葉狩【もみじがり】』『浦島太郎【うらしまたろう】』などの演目も加えられた。

 この里神楽は、一定の神社にのみ附属するものではなく、各地の神社の祭礼に、主として各神社の氏子などからの時々の依頼に応じて演じられてきたもので、近年、若山社中は、神田【かんだ】神社(千代田区)、浅草【あさくさ】神社(台東区)など三十数社の例大祭などで、各神社の舞殿【まいでん】(神楽殿【かぐらでん】や神楽堂【かぐらどう】などともよばれる)で演じている。

 江戸の里神楽【さとかぐら】は、近世の江戸という大都会において、強い演劇性を盛り込み、各時代に即応した工夫を重ね、神楽を専門とする人々によって祭礼の神賑【かみにぎわい】として演じられ、広く一般の支持を得てきたもので、芸能の変遷の過程と地域的特色を示す無形民俗文化財として特に重要なものである。

文化庁国指定文化財等データベースより抜粋)